島探検|鳥羽・答志島 潮風の宿 やま七

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観光マップ 潮音寺 たこつぼ磨き 漁協答志支所集約市場 船洗い 海女小屋 四つ角 八幡神社 八幡橋 豆腐屋 富士見の丘 サンデの底 美多羅志神社 蟹穴古墳 和具漁協市場 九鬼嘉隆胴塚 血洗池
答志島の見どころ
海女小屋

海女小屋

大答志トンネル入口付近に並ぶ、ブルーシートで覆われた数戸の建物。これが、答志の海女小屋です。ここが海女さんの前衛基地であり、目の前の海が仕事場です。海女小屋の仲間は、漁を競うライバルであり、命を助け合う大切な仲間でもあります。小屋の中央には囲炉裏があり、漁の前後に体を温めたり、食事のためなどに使われます。元気でユーモアたっぷりな女性ばかりで、囲炉裏談義では笑いが絶えません。海女小屋で楽しい話を聞いて、元気をいっぱいもらうのも旅の良い思い出になるでしょう。


富士見の丘

富士見の丘

寝屋子の館から遊歩道を登って行くと、途中に見えるのが富士見の丘です。答志エリアを一望できる開放的な丘は女将のお気に入りポイントの一つで、目前に広がる海と島々をゆったりのんびりと眺めている時間がまさに「島時間」。漁の時間ともなると、船の出入りや漁場の場所取り等が楽しめます。


八幡神社(はちまんじんじゃ)

八幡神社(はちまんじんじゃ)

答志漁港の入口にあり、朱色の八幡橋(やはたばし)で結ばれています。
明治41年に大築海神社(おおつくみじんじゃ)、明治42年に小築海神社(こつくみじんじゃ)が合祀され、八幡神社となりました。
旧暦1月17日~19日の3日間、答志の一大イベントである「神祭(じんさい」」が行われ、中日には弓射神事(ゆみゆいしんじ)に使われる的に○の中に八の字が記された墨を奪い合う勇壮な神事があります。
その墨を持ち帰り、戸口や雨戸、船に大きく「まる八」を書き、大漁や一年の無事を願います。


八幡橋(やはたばし)

八幡橋(やはたばし)

八幡神社入口の朱色の橋。
漁の開始時間になると、ここから一斉に漁船が海に出て行きます。
その姿はさながら「出陣」のよう!
船を真上から見ることが出来るのも、隠れた楽しみポイントです。


柿本人麻呂の歌碑

柿本人麻呂の歌碑

八幡神社の鳥居の脇に、柿本人麻呂の歌碑が建てられています。
「釧著く(くしろつく) 答志の崎に今日もかも 大宮人の玉藻刈るらむ」
この歌は、持統天皇が692年伊勢へ行幸した際、一行のことを思い浮かべながら人麻呂が都で詠んだ歌です。
「くしろつく」とは、手や腕に付ける装飾品で今で言うブレスレットの様なものです。また、手や指にかかる枕詞でもあり、原文では「答志」の部分は「手節」となっています。ブレスレットと手節を懸けた、流石達人の遊び心と言えるでしょう。
天皇に仕える女官達が答志の沖合に舟を漕ぎ出し、優雅に舟遊びを楽しんでいるのだろうと想像しながら詠んだ歌です。当時から行幸先として答志島が好まれ、風光明媚で海の幸に恵まれたリゾート地として認識されていたとうかがい知ることができます。


サンデの底・路地迷路

サンデの底・路地迷路

答志島では、土地柄から狭い路地を挟んで、家々の軒が折り重なるように続いています。路地が入り組んで、まるで迷路のようです。
そんな路地の中でも極め付けは「サンデの底」と呼ばれている場所です。
「サンデ」とは、答志の方言で「サザエ」のことです。
クルクル巻いているサザエの底と良く似ているので、こう呼ばれるようになりました。
答志の路地は、まるで時空を過去にタイムスリップさせるタイムトンネルを思わせます。


美多羅志神社・龍神さん

美多羅志神社・龍神さん

美多羅志神社は、明治41年に天王社山神社、天神社等、十社ほどの社を合祀され、今のかたちとなりました。創立年代は不詳ですが、「美多羅志神(八王子諸神)」を主祭神とする、由緒ある神社です。
現在はある「御神木」により、答志島一番のパワースポットとなっています。その「御神木」とは・・・

発端は、平成20年6月のこと。答志在住の西川豊博さんは、祷屋祭(とうやさい)の祭礼のため、世話人として数名の仲間と共に美多羅志神社を訪れました。その帰り、神社の階段を下りようとした時、突如目に飛び込んできたのが・・・なんと「龍の顔」だったのです。驚いた西川さんは、思わず隣りにいた年長の仲間に「あれは龍の顔と違うかいの!」と尋ねると、やはり答えは「本当や。龍や!」西川さんの一言で龍の姿に気がついた仲間の皆さんは一様に驚き、また感動していた、というお話です。
宮司の橋本さんによると、何日か前の時化(しけ)で木の枝が折れ、危険だったので切ってもらったが、その時は誰も気がつかなかった、ということでした。恐らく元々あった龍の顔が、木の枝に覆われ誰にもわからなかったのでしょう。


潮音寺(ちょうおんじ)

潮音寺(ちょうおんじ)

潮音寺は曹洞宗・永平寺派の寺で、薬師如来像を本尊としています。境内の一角に観音堂が建っており、中央には十一面観音を据え、三体の木製聖観音立像がその脇をかためています。また、毘沙門天・不動明王・地蔵菩薩等7体の仏像も共に納められています。伝行大師、慈覚大師、弘法大師、行基、安阿弥これを作ると書いてありますが、その真偽は定かではありません。しかし、歴史的にも美術的にも大変価値があることは間違いなさそうです。元々は答志島の中央部南岸にある長者ヶ谷の寺にあったものを、村落移転の際に現在の場所に運んできたという言い伝えが残っています。


蟹穴古墳と長頚壺

蟹穴古墳と長頚壺

大正10年、答志の寺浜に住む川原松蔵さんが鶏小屋を建てるため土を掘り返していたところ、突如ツルハシの先が濡れたことに気づきました。「おや、何か変だな」と思い、手で掘ってみたところ立派な壺が出てきました。偶然にもツルハシの先が壺の口に入り、中に溜まっていた水に触れたようです。そして、壺は壊れることもなく完全な状態で掘り出されました。いくつもの偶然が重なり合った、まさに奇跡の発掘という以外にありません。
また、この奇跡的な世紀の発掘がなされた場所。何の変哲もない土地と思われていたこの場所が「蟹穴古墳」だったのです。蟹穴古墳は、岩屋山古墳の麓、標高28mの山の中腹にあります。規模もさして大きくはありません。ただ、古墳から出土した壺が美術的に大変価値があり「長頚壺(ながくびつぼ)」と呼ばれています。7世紀前半に作られたものであり、口径23cm、器高55cm、均整のとれた雄大な器体と表面に残る美しい緑色の自然釉は、同形のどれより優れており、長頚壺の代表とされています。現在東京博物館に保存されていますが、海外に貸し出されることも多く、「世界を駆け巡る土器」と称されています。
蟹穴古墳内部について、当初石室の天井は4枚の大きな石で覆われていましたが、今は外されています。2枚の行方はわかりませんが、1枚は桑名に住む諸戸氏の庭園の庭石として売られ、残りの1枚は答志港の一角で災害復旧の記録を刻んだ記念碑として建てられ、答志島の復興の歴史を今に伝えています。


九鬼嘉隆 首塚・胴塚

九鬼嘉隆 首塚・胴塚

九鬼嘉隆は天文11年(1542年)に志摩の国名切(なきり)の士豪である九鬼家の二男として生まれました。甥の澄隆の死後本家を継ぎ、八代当主となりました。27才の時、織田信長の伊勢侵攻に参加し、その多大な功績によって志摩一円の平定を許され、志摩の国の領主となりました。天正2年(1574年)の伊勢長島一向一揆や天正6年の摂津石山本願寺攻めには、水軍の大将として参戦し、当時最強と呼ばれた毛利水軍を堺沖で打ち破り一躍脚光を浴びました。この海戦で嘉隆が造った船は船体に鉄板を張り巡らし、大砲も積込んだ日本初の装甲軍艦です。これらの軍功により志摩2郡をあたえられ3万5千石の大名となりました。
信長が本能寺に倒れた後は、豊臣秀吉に従い四国・九州攻めや朝鮮出兵にも参戦しています。慶長2年(1597年)家督を嫡子守隆に譲り、五千石で隠居しましたが、関ヶ原の戦いで嘉隆は西軍・石田三成に味方し、子の守隆は徳川家康に従い骨肉の争いとなりました。(一説では、西軍東軍どちらが勝っても九鬼家が存続できるようにとの嘉隆の一計だったとも言われています。)西軍の敗北により嘉隆は娘婿である渡辺数馬を頼り答志島の潮音寺に身を潜めていましたが、既に死を覚悟していたのか、この寺で得度したと伝えられています。守隆は、論功行賞の代償として嘉隆の助命を嘆願し、許されました。しかし、その使者の到着を待たずして答志・和具の洞泉庵(とうせんあん)にて自害し、59年の波乱の生涯を閉じました。嘉隆が切腹した刃を池の水で洗ったところ、その水がみるみるうちに真っ赤に染まったと言われています。その池が「血洗池」です。首は、伏見城の家康の元へ首実検のため送られ持ち帰られた後に嘉隆の遺言に従い、鳥羽城や父・祖父の慣れ親しんだ熊野灘の見渡せる和具の築上山の山頂に埋葬されました。また、胴塚は洞泉庵にほど近い民家の奥にあり、400年以上渡り和具の人々によって守り続けられています。

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